“死”を知ると、“生き方”が少しクリアになる。
突然の訃報
先日、しばらく会っていなかった叔父が突然亡くなり、久しぶりにお葬式へ参列しました。
子どもの頃は一緒に出かけたり遊んだりしていたのに、ここ十年以上は顔を合わせることもなく、気づけば “遠い親戚の一人” のような存在になっていました。
ただ、その叔父のお葬式で、胸の中に浮かんだのは「今までありがとう。」という気持ちと同時に――
「そもそも、私たちはなぜ“お葬式”をするんだろう?」
という疑問。
もちろん家族や親しい友人なら
・故人を偲ぶ
・別れを告げる
・死を受け入れる
――こうした明確な理由があると思うんです。
では、少し距離のあった親戚や、幼い子ども、若い世代はどうでしょう?
私の今回のお葬式はどちらかというと、こっち側でしたが、私や彼らにとって“偲ぶ”という感覚はピンと来ないかもしれません。
けれど、そんな人たちにとっての葬儀には、もう一つ大事な意味があると感じたのです。
それは 「死を身近に感じること」。
今回の参列を通して、私は忘れかけていた大切な感覚に気づかされました。
――死は、決して遠いものではない。
この当たり前の事実を、現代の私たちは意外なほど忘れて生きているのかもしれないとふと思ったんです。
お葬式の意味
今回の記事の結論は、とてもシンプル。
お葬式には「死を思い出し、いまの生き方を見つめ直すための役割」がある。
だと思いました。
そもそも、昔に比べて、医療が発達した現代では、人生ウン十年時代と言われていて、多く人たちが「自分はまだまだ生きられるだろう」とどこかで思い込んでいます。
“死”は、ニュースの向こう側の出来事や物語の中の話。
あまりにも遠い存在になりつつあります。
長生きできると思っていたり、明日も死なないと思っています。
ですが、実はいつ死ぬかは分からないんですよね。
むしろ、明日突然亡くなってしまう可能性だってゼロではありません。
昔は今よりももっと死が近かったんじゃないでしょうか。
死が身近だから、自分ファーストではなく自分の理想や信念のために懸命に生きた方が多かったんじゃないかと。
老後のことまで考えないから、今を一所懸命に生きたんじゃないでしょうか。
だからこそ、自分の信念や理想のために精一杯生き、『今という時間』を何より大切にしていたのかもしれません。
伝説的な俳優、ジェームズ・ディーンの名言
「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
は、そんな“生き方の姿勢”を見事に表現している言葉です。
また、古代ローマの言葉に「メメント・モリ(死を忘れるな)」があります。
この言葉も、同じように「死を意識することが、より良く生きることにつながる」という教えです。
お葬式は、まさにその感覚を私たちに思い出させてくれる場なのだと感じました。
死が他人事になって、ダラダラと過ごすことで生に無頓着で人が弱くなっていくことにつながるんじゃないかと。考えました。
「先が長いと錯覚すると、今を雑に扱ってしまう」
お葬式は、その誤解をそっと修正してくれる“人生の節目”のような役割を果たしているのかもしれません。
まとめ
今回の経験からあらためて思ったのは、
“死”を忘れないことは、“生きること”を丁寧にすることにつながる
という、ある意味で当たり前だけれど忘れがちな真理でした。
・いつか会おうと思っていた人に、もう会えなくなる日が来るかもしれない
・「後でいいや」と先延ばしにしたことが、もう二度とできなくなるかもしれない
・今日の自分の時間は、明日必ずあるとは限らない
こう意識しただけでも、今日の行動や、人との関わり方、時間の使い方が少し変わります。
「死を意識する」というと、どこか暗い響きに聞こえるかもしれませんが、実はその逆です。
死を意識することは、人生をもっと前向きに、やさしく、力強く生きるための“ヒント”になります。
お葬式は、悲しみの場であると同時に、“生き方”を教えてくれる場なのかもしれません。
もし最近、時間の使い方に悩んだり、毎日が流されているように感じているなら――
少しだけ「メメント・モリ」を思い出してみてください。
今日という日を“ちゃんと生きる”力が、湧いてきます。
ほかにもたくさんの記事を書いていますが、次の記事では、夫婦喧嘩で困ってしまった。なんて方にぜひ読んでいただきたい記事をご紹介します。
ケンカをして、勢いで家を出たはいいけれど、行く場所がなく困ったしまった。なんて経験のある方も多いはず。お金を使う・使わない別の時間のつぶし方をまとめました。
最後に仲直りの秘訣も紹介しているので、ぜひ読んでください。

